週末ひとりけんきゅうしつ

つれづれなるままにひぐらし音楽と社会をながめる人のひとりごと。(もはや週末関係ない)

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「ネオ・シティポップ」という新しいカウンターカルチャーの在り方の可能性 ―(3)ネオ・シティポップのカウンターカルチャー的側面

第3回目です。

第3回目、第4回目は、これまでに比べると、私の個人的な偏見、感覚をもとに書いている側面が強くなっているかと思います。

 

特に前の記事から使い始めている「ロキノン系」という言葉、これの指すものについては極めて曖昧で語りづらく、ゆえに慎重に扱わなくてはいけない言葉ですね。

みな、それぞれが「イメージ」として使っている部分も多く、それゆえ様々な解釈、異論も多いのは周知の通り。

 

人々のイメージの中で生み出されてきた概念だからこそ、言説空間でどのように扱われてきたのかという点は考慮しなくてはいけないとは思いますが、

その点については今後の大きな課題として、

 

ここではひとまず、ブラックボックスとして先に進みたいと思います。

 

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これまでACCの例で見てきたように、
この「ロキノン系」が仮に、友情・努力によって勝ち上がる「バンドドリーム」を胸に、

縦ノリの一体感・メッセージと共感を重視して若者の人気者になっていったバンドたちだと乱暴にくくってしまえば、
ACCのような、そうしたあり方へのオルタナティブな選択肢を提示するバンドスタイルが現れている昨今の構図、というのは興味深い。

昨今、ロックフェスが社会現象となり、各フェスは年々規模を拡大してきた。日本のロックバンドが当然のように地上波の音楽番組にも出るようにもなった。少し前に比べて、彼らが「ブラウン管の中で評価される」のが当たり前になった感覚がある。

 

けれども彼らはかつては「ブラウン管の中で評価される」のを拒んでいたのではなかったか。

(注:初期のBUMP OF CHIKENのいわゆる「ブラウン管発言」をフィーチャーして取り上げてますが、これは象徴として使いやすかったためで特にそれ以上の意味はありません…。)

 

大人たちへの不信・不満、あるいは若さゆえの内省的な衝動を核として音楽を生み若者の共感を得てきた「ロキノン系」「邦楽ロック」と呼ばれたものは、今やメインストリームカルチャーの1つとなりつつあるのではないか。

そのせいなのか分からないが、音楽性も、ファンの振る舞いも、ロックフェスブームのせいなのか、どこか均質的とも言えなくはない。

 

ACCに限って言えば「頭打ち」という言葉が本人たちから出てきたように、
こうした昨今の状況を見、なにか別のことをしなければという危機感があったのかもしれない。

彼らは、実は若手と言えるほど、年齢的には若くないようだが、活動自体の開始はかなり最近、という点ではCDが売れないという悲観的な状況ばかりが騒がれているのを体感してきた上で活動を始めた世代である。
だからこそ、暑さや夢だけで押し切れる、そういう時代ではない、と肌感覚で感じている世代でもあるのだろう。

 

感情的な要素は歌詞から排され、海のむこうで再評価の動きのあるソウルやディスコテーク的なエッセンスをベースに、メロディを立たせ、エレポップ風のシンセ音をアクセントに重ね、とにかく耳障りよく心地よくまとめた楽曲も、

音数が多く性急な曲に同世代の共感を誘うエモーショナルな歌詞を乗せ煽るような、ロックフェス的バンドたちの楽曲とは対照的だが、

それだけでなく、
自分たちの見せ方、楽曲の広げ方を、自分たちで、クールに知的に、戦略的に管理する方法論、
暑さや一体感を求めるのではなく、そこにいる人々が有機的に混じり合う多幸感のある空間を提供するという考え方、
それらは、そのあり方自体をもって、地道に勝ち上がる従来のバンドスタイルを否定する意志表明なのかもしれない。

 

若者を熱狂させるロックフェス的なバンドは、かつてオルタナティブと見なされていた00年代を代表するバンド、アジカンバンプなどが1つのルーツとしているとされる。

 

アジカンが一番のルーツにあるってことは全然恥ずかしいことじゃないし。確かに「ルーツはボブ・ディランです」とか言った方が世の中的には格好いいかもしらんけど(笑)。でも別に僕らはそれを格好いいとは思わないし、僕らは信じたバンドをこれからも信じ続ければいいと思うし、だから、アジカンがルーツにあるって言われること自体への抵抗は、全然ないですね。*1

 

そうした今の「ロキノン系」バンドが、もしかすると、いまや、彼らACCのような存在によって、

「もうすでに古いスタイル」として否定される構造の端緒を我々は見ているのかもしれない

 

ちなみに、こうした「かつてカウンター(注:メインカルチャーとは異なるオルタナティブな、という意)カルチャーであったものがもはやメインカルチャーとして広く消費されるようになった段階で、そうした状況に異を唱える」あり方というのは、70年代後半のパンクムーブメントにも構造的には似ているように見える。
ただ一方で、直接的に、また音楽性を鑑みたとき、日本においては、ニューミュージック、あるいはバンドブームの否定の上に登場した、90年代初頭の渋谷系の在り方と相似形であるように感じさせられる。

 

私小説的で、聴き手の共感をさそう歌詞を特徴とした、ニューミュージック、
あるいは日本でも独自の「ロック」が生まれるのではないかと期待感を抱かせながらも結局は尻すぼみとなったイカ天を発端としたバンドブーム、
これらを否定するかのように、
メッセージ性を拒絶し、海外の音楽シーンの動きと連動しつつ、時代や国を越えたポップスをルーツとした楽曲を生み出しながら
のらりくらりと捉えどころがないドライな態度で大人たちを翻弄し、その実、確信犯的にそれまでのポップスのあり方を否定する

オシャレで新しいスタイル、と(個人的には解釈しているのだが)して渋谷系の一側面を捉えるとすれば、ACCはその点において似ていると言えそうだ。

 

ACCは(本人たちはあまりそのような自覚はないようだが)一般にシティポップとしてくくられる傾向にある。
また、このところ同様な、いわゆる典型的なロックフェス的なバンド群とは趣を異にするシティポップ風の若手バンドが増えているとも言われ、それらはまとめてネオ・シティポップ、新しいシティポップなどと呼ばれたりしている。
Lucky Tapes、Yogee New Waves、cero などが該当するだろうか。

第1回目の冒頭に引用させていただいたツイートもこの点を指摘している。

 

 

ただYogee New Wavesはかなり歌詞での自己表現というところに重きを置いているバンドなので上記のくくり方にはあてはまらないかもしれない。

Lucky Tapesはブラックミュージックをベースにしながらメッセージ性よりも心地よさを追究しているという点ではかなり共通している。

(以下記事参考)

www.cinra.net

 

こうした渋谷系との構造的な類似点を持つ動きは
言ってしまえば、新しい渋谷系のようなものがここから生まれるのではないか、という期待感を私たちに抱かせるには十分なほどの規模になりつつあるように感じている。


※シティポップというくくりにこだわらなければ、他にもいわゆるロックフェス的なバンド群とは異なる音楽性を持つ若手が目立つようにもなってきている。(HAPPY、The fin.などの洋楽ライクなバンド、あるいはシャムキャッツ、森は生きている、ミツメなどのフォーキーなアプローチのバンドなど…)

これらをここで一緒くたに扱うには、さすがに手に負えないので今回は一旦置いておくが、
少なくともそうした「速くない」「00年代の「ロキノン系」を直接のルーツとしていない」若手の存在感というのは、大きくなっているという感覚がある。

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次回が一旦最終回です。

最後は、バンドの「戦略性」が取り沙汰されることが批判される傾向にある背景について考察していきたいと思います。

 

 

 

 

「ネオ・シティポップ」という新しいカウンターカルチャーの在り方の可能性 ― (2) Awesome City Club、ポップネスのなかの冷めたアンチテーゼ

前回の続きです。

 

 ACCのインタビューなどを紐解いていくうちに、「メッセージがない」というスタイルこそが実はある種のメッセージでもあるのでは、という逆説的な考えに至ったのですが、

そういった意識がバンド内で醸成されていった過程の中には
彼らのもともといた「下北沢のバンドシーン」とはオルタナティブなバンドの在り方を提示する意識が少なからずあったのではないか、と(勝手に)感じています。

 

そんな「下北沢のバンドシーン」を強引かつかなりざっくりと概観しつつ

ACCとどのような点において異なるのか、考察していくのがテーマです。

 

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「下北沢のバンドシーン」といっても非常に曖昧で一言にはもちろん語れないが

(そもそも「下北沢」とくくるのもかなり強引だが)インタビューなどで彼らが意図するあり方は、

仲間や友達同士でバンドを組み、自主制作などでCDを作ってライブの時に売り、地道にライブを重ねてお客さんを増やす。あわよくば、インディーズで力をつけてメジャーデビュー、

乱暴に言ってしまえば、仲間同士で地道に活動し勝ち上がって夢を掴む、

というあり方を理想とするスタイルだ。

(ジャンプ風に言うと「友情・努力・勝利」型とも言えそうである。)

 

彼らが以前のそれぞれのバンドでうまくいかなかったという経歴を持っているということ、またそうしたやり方のバンドたちが(音楽的には良いものをやっているにもかかわらず)頭打ちになっている現状を見てきたということが関係している、と語られているように、
彼らはそういった活動スタイルを明確に拒否している。その点では、非常に、ドライでリアリストであり、冷めた感覚を持っている。

 

インタビューから見えてくる在り方は、具体的には

■ライブ以上に、制作に重きを置き、まずはCDを焼いて売るのではなく、音源をスピーディーにネットで広める

今まで自分たちがやってきたインディー活動――ライヴやって、デモ作って、みたいなステップアップしていく手順を全部ナシにして、最初から違う形にしたかった*1 

もともと僕らがいた下北沢のバンドシーンは、ライブをたくさんやって、集客のためにフライヤーをまいて……という地道なやり方が主だったんですけど、それだとスピードが遅いと思ったんです。まずデモCDを作って物販で500円とかで売ることにも、いまいち合点がいってなかった。*2

 

■ビジョンを明確にし、それをどう見せていくかを練った上で活動

アー写を作るなら作り込んだものにしたいし、ホームページを作るならちゃんとしたものにしたい。キレイじゃないものを世に出すくらいなら、何もしない方がいいっていう考えで。*3

 

といったところだろうか。
(メンバーを決める際に、こういう人が必要だから、というところから、探したというエピソードも、ビジョンを明確にして活動するというところにあてはまる。)

歌詞、音楽性についても、「下北沢のバンドシーン」なるものとは対称的だ。

 

比較対象とする「下北沢のバンドシーン」

――このまとめ方、そして以下の解釈はかなり強引だと自覚しているが、どうか今回は不勉強を許してほしい――
言ってみれば、現在のいわゆる「ロキノン系」と呼ばれる若手バンドは(実際に下北沢で活動していたかどうかは別として)
仲間や友達同士でバンドを組み、地道にライブを重ねてファンを増やし、インディーズで力をつけてメジャーデビュー、

というあり方で人気者となった、という(実際はどうなのか、というところはこの場で断言はできないが、少なくとも、そういった)イメージをまとっているという意味で、

「下北沢のバンドシーン」というものにある程度該当するとしよう。

 

さて昨今、どこかしこでも出てくる話題だが、
ロキノン系」と呼ばれる若手バンドの曲は、ロックフェスブームとも相まって、
テンポが速く、激しく、縦ノリで、ライブでの一体感を煽るようなものが増えていることが指摘されているのは周知の通りだ。
会場はさながらスポーツイベントのようでもある。

 

また、若手、ということもあり、若さゆえの初期衝動、あるいは、同世代のファンに訴求するような、同世代・同時代的な共感を煽るメッセージ性が歌詞作りのベースにある傾向が強い。
※(失礼ながら)ルックス、という点でも、いたって普通、だが普通で友達にいそうだからこそ、同世代には最大に求心力があるとも言えるのかもしれない。

 

ACCは、これまでも述べてきた通りだが
「メッセージ」「速さ」「一体感」という点においては、カウンターを打つつもりだと明言している。

「メッセージ」については、前回の記事の通りだが、

例えば、「速さ」についてはこんな具合だ。

ACCを始めたときくらいにちょうど日本のバンドシーンのBPM問題みたいな話がメディアでも出るようになって。(略)自分でそこにカウンターを打つみたいな意識はありましたね。*4

 

BPMに関しては「みんなちょっと速すぎない?」って思いはありますよね。だから、なるべくムーディーでゆったりしたビートでやりたかったし、歌詞に関しても、できるだけメッセージ性をなくして「音楽の力だけでアガろうよ」っていうものにしたかった。*5

 

また彼らは、みんなで一緒に盛り上がるというライブ、ではなく、
多幸感のある「空間」を作り、お客さんに提供するということを意識しているようだ。

 僕らのライヴが素敵なBGMであったらよくて。(略)ACCがライヴをやってるなら、そこは絶対におもしろい場所だろって思って来てもらって、ライヴを観るよりも誰かと話したくなったらバーカウンターにお酒を飲みに行ってもらってもいいし。最終的にお客さんが“今日は楽しかった”って思ってもらえる空間を提供したいんですよね。*6

強いられた「一体感」ではなく、様々な人が心地よく好きに振る舞うことで有機的にできあがる「空間」を作る、そしてそれを包み込む彼らの音楽、という位置づけ。


だからこそ、歌詞に共感を煽る具体性や、メッセージは不必要なのであり
年代や地域も雑食で、しかしながら、とにかく心地よくそして大衆的な音楽性が必要となってくるのだろう。
主流の「ロキノン系」の特徴である「メッセージ」「速さ」「一体感」は彼らの目指すものにとってはむしろ邪魔なのではないだろうか。

 

※なお、これも一時期物議を醸していた話題だが、今、アクティブなロックキッズの若者にホットなバンドというのは、ほぼ00年代の(つまり彼らが中高生の時に流行った)ロキノンと呼ばれていたバンド「だけ」が直接のルーツになっているとされているが、その点も、年代や地域も雑食なACCの楽曲とは対称的である。

(失礼ながら、ACCは佇いも洗練されており、そこも「ロキノン系」とは大きな違いだろうか。)


このように見ていくと、彼らの戦略性というのは、音楽性の面にも密接に結びつき合いつつ、

「下北沢のバンドシーン」へのカウンターの姿勢として作用しているように思えてくる。


戦略的に活動すること、ドライで冷めた感覚で自分たちを俯瞰すること、

その行為自体が、そうではない、今主流となっているバンドスタイルへのアンチテーゼとも取れそうだ。

 

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次回は今回洗い出したACCのカウンターカルチャー的側面を掘り下げつつ、

本題である昨今盛り上がりつつある新しいシティポップの動きを眺めていきます。

 

 

 

*1:シティポップの新星 Awesome City Club 「36.5℃」の情熱に迫るhttp://ro69.jp/feat/awesomecityclub_201504/page:1

*2:大注目株Awesome City Clubが語る、新しい時代のバンド論
http://www.cinra.net/interview/201504-awesomecityclub

*3:Awesome City Club SPECIAL INTERVIEW http://accgov.net/talk/talk_1.html

*4:Awesome City Club「オシャレで何が悪い」、メンバーが語るバンド誕生から “シティポップ”論まで
http://top.tsite.jp/news/i/23094689/

*5:Awesome City Clubが明かす、バンドの成り立ちと活動ビジョン「ドカンと売れたら一番おもしろい」http://realsound.jp/2015/04/post-2940.html

*6:Awesome City Club「オシャレで何が悪い」、メンバーが語るバンド誕生から “シティポップ”論までhttp://top.tsite.jp/news/i/23094689/

「ネオ・シティポップ」というカウンターカルチャーの在り方の可能性 ―(1) 具体例:Awesome City Club の注目されるポイント

ほぼほぼ初めてのエントリーにしては気合を入れすぎてしまい、超長くなりました。

今後は簡潔に書きたい!と思いつつ、今回は連載形式にいたします。

 

私はかなり日本のバンドモノの音楽に偏っている節が多分にありまして、今後もそういった話題が多いのではないかと思いますが、

今回もまさにそういった話題です。

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最近ちまたで話題の日本のバンド(?)Awesome City Club(以下ACC)。

4月にメジャーデビューということだが、彼らを取り巻く言説もまた興味深いことになっているように思う。

すなわち、バンド活動をしていくにあたってのその「戦略性」にフォーカスが当てられがちであるということ、そしてそういったフォーカスの当てられ方に嫌悪感を抱いている人々もまた少なからずいるということである。

 

今回は、タイミング的には1ヶ月遅れとなってしまったけれど

彼らのWEB上で公開されているインタビュー、及び解説記事をいくつか眺めながら、前述のようなざわつきの根源を探してみようと思う。

 

ちなみに、今回のテーマのタイトルはこちらの方のつぶやきに共鳴するような形で付けさせていただきました。勝手に申し訳ありません。ありがとうございます。。

 

また私個人は、ACCの楽曲はお気に入りで、活動スタイルにも肯定的なので、どうしてもそういった主観が入ることはまず断っておきます。

 

私が今回目を通した記事は、文末に。

※ちなみに、紙媒体(雑誌など)での記事ももちろんあるでしょうが、リリースタイミングでのインタビュー記事というのはえてして内容がほぼ被っていることも多いので、今回はとりあえず割愛しています。

 

そして、今回はこれらのインタビュー&解説記事から、あえて2点のみを抽出して検討していきます。

 

①音楽性

②活動スタイル

※2点はクロスする部分も少なからずあると思いますが、便宜上分けてみました。

 

①音楽性

メンバーいわく「ちょっと80'sっぽい感じとブラックミュージックが混ざっていて、で、現代風のダンスミュージックに昇華されていて、かつ歌モノ」*1をやりたいというのがバンドを始める際のイメージであったという。

 


Awesome City Club - Lesson (Lyric Video) - YouTube

 ※私が個人的にいたく気に入っている、"Lesson”。

 

ねっとりと粘っこいグルーヴィーに練り込まれたリズムの上に、彼らの言及するチルウェイブにも、あるいは80年代のエレポップなどにも影響されたサウンド、そして(またこれも言及されているが)現代のUSインディのような洗練されたメロディ。

そして、(歌声そのものはよりあっさりとしているものの)やはりソウルを彷彿とさせる男女のコーラスワークなど、そしてそれらが喧嘩せずに調和し、心地よくまとまっているあたりから察するに、彼らの当初の目論見はかなりの部分で成功しているように思う。

 

これだけ見るとやたら玄人好みな音楽にも思えるが、一方で彼らは「洋楽的な符割に日本語を当てるというのも最初から決めていたことだし、王道のポップミュージックに対する嫌悪感はまったくない」*2と言い切るように、大衆的であることを意識した曲作りをしていることがうかがえる。

 

※これは、②とも関係してくる部分ではあるが、ここ数年「ガラパゴス化する日本のポピュラー音楽シーン」という話題が取り沙汰されるように、現在進行形の「洋楽」*3から切り離されたアーティストが増えているとされている。よって、少なくとも昨今のポップミュージック言説の中では、同時代の洋楽の動きを取り入れている若手のほうが珍しく、そういったアーティストは「玄人」好みでニッチ、と見られるきらいがあるように思う。

 

海の向こうのインディロック、あるいはソウル~R&Bをルーツとしたディスコテーク風のポップミュージックの盛り上がりと共振しながらも、あくまでマニアックな方向には向かわず、心地よさや大衆性、普遍性をもたせていくことに貪欲であるとうかがえる。

 

※もう少したんなる感想を書きたいところでもあるが、本筋と離れてしまうのでまた機を改めて。

 

②活動スタイル

彼らについては今回のメジャーデビューのタイミングにあわせ、改めてそのような戦略的な側面について語られる場面が増えている。

明確に言及されているものの1つが、こちらのナタリーの特集記事である。

natalie.mu

 

他の記事でインタビューされている宇野維正氏も含めた3者にてACCも含めた2015年春にメジャーデビューをしたアーティストと、日本の音楽シーンを絡めた分析・鼎談記事で、(主に宇野氏が)ACCの戦略的な側面を絶賛している。

彼ら男3、女2なんだけど、“主宰”のマツザカタクミくんと主に曲を書いてるatagiくんっていう男の子2人が中心になってバンドの基礎を作って。その時点で、あと男1人と女2人を入れて5人組にしようって、まずメンバー構成から決めたらしいんですよ。(略)そのくらい戦略的なんだけど、そういうバンドのあり方がすごく今のシーンを象徴してるかなと思いました。

物事を考える人、歌う人、曲作る人ってバンドの中で役割分担して、いろんな要素を持ってる 

*4

ここで言及されているのは、要するに、多くの人に見てもらうため、聴いてもらうための方法論に彼らが非常に自覚的で確信犯的な点だ。

しかしそういった点に「音楽ライター」達が色めきたっていることに対して批判的な反応も少なからずある。

 

 

 

Gotch氏については明言はしていないが、タイミング的に考えても、

また実際には、ACC本人たちと相思相愛という事実も鑑みると、

おそらく前述の記事などでのACCの取り上げられ方に不満をもち、多かれ少なかれ意識している発言なのではないだろうか、と勝手に勘ぐっている。

 

さて、当然、彼らはアーティストだからこそ、戦略性だけでなく音楽性にも寄り添って評価すべきだというこうした考え方にはおおむね同意するが、

一方で、私はこうした戦略性こそが、ある種彼らの活動の「メッセージ」ともなっているのではないかと感じている。(これが今回の記事のキモであり主張の核でもある。)

 

なんといっても私が注目しているキモは、(逆説的だが)彼らは楽曲作りにおいてメッセージ性をあえて極力排することを核としている、という部分だ。
それは私がこのバンドを深く掘ってみたいと思った一因の1つでもある。

 

実は私は初めはこの「メッセージがない」というポイントに非常に違和感を覚えたことを記憶している。
“Lesson”のようにドープで没入感の強い曲もあったかと思えば、
「4月のマーチ」のような「女の子らしさ」をそのままパッケージングしたような歌詞に、甘くキャッチーな歌メロとリフの印象が強く残る曲が唐突に現れたりと、
たしかにどちらも素晴らしく完成度の高い曲なのだが、

同じバンドが作った曲のように感じられない、バンドの「顔」がつかめない、という点が私の中でちょっとした混乱をきたし、

「この人たちは一体どういう人なんだ、何がしたいんだ」といった具合に、飲み込み切れなかったのだった。

しかしインタビューなどを紐解いていくうちに、この「メッセージがない」「つかみどころがない」というスタイルこそがある種のメッセージでもあるのでは、という逆説的な考えに至ったわけである。

 

 バンドを組むときに合言葉のように言っていたのは、とにかく暑苦しいのは嫌だねってこと。刹那的なものに対して、「カロリー重いよ」という思いは全員共通でありました*5

 歌詞や演奏で主張をし過ぎるようなバンドやアーティストがすごく多くて。それがトゥー・マッチに思えたんですね。*6

 歌詞に関しても、できるだけメッセージ性をなくして「音楽の力だけでアガろうよ」っていうものにしたかった。*7

 

など、かなり多くのインタビューで言及されている。


そしてなぜ、そういった意識がバンド内で醸成されていったのか、という点を紐解いていくと、
そこには彼らのもともといた彼らの言及する「下北沢のバンドシーン」とはオルタナティブな「バンド」というものへの在り方の提示という意味が浮かび上がってきた。

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ということで第1回はここまでにします。

続きは近々…。ちなみに全4回予定です。長すぎ!!笑

次回は「Awesome City Clubの冷めたアンチテーゼ」という観点を掘り下げようと思っています。

 

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 [参考にした記事一覧]※全4回予定の記事を通して

【インタビュー】
1
シティポップの新星 Awesome City Club 「36.5℃」の情熱に迫る
http://ro69.jp/feat/awesomecityclub_201504/page:1

2
大注目株Awesome City Clubが語る、新しい時代のバンド論
http://www.cinra.net/interview/201504-awesomecityclub

3
interview with Awesome City Club
“オーサム・シティ”のハイブリッド・ソウル
──Awesome City Club、インタヴュー
http://www.ele-king.net/interviews/004410/

4
Awesome City Club「オシャレで何が悪い」、メンバーが語るバンド誕生から “シティポップ”論まで
http://top.tsite.jp/news/i/23094689/

5
【インタビュー】Awesome City Club、“また変な曲出したな”と言われるようになったらうれしい『Awesome City Tracks』
http://www.barks.jp/news/?id=1000114517#utm_source=tw_BARKS_NEWS%26utm_medium=social%26utm_campaign=tw_auto

6
Awesome City Clubが明かす、バンドの成り立ちと活動ビジョン「ドカンと売れたら一番おもしろい」
http://realsound.jp/2015/04/post-2940.html

7
Awesome City Club SPECIAL INTERVIEW
http://accgov.net/talk/talk_1.html


【解説】
8
Awesome City Clubがデビュー作で提示する、“今の日本にしか生まれ得ない”音楽とは?
http://realsound.jp/2015/04/post-2953.html

9
Awesome City Clubインタビュー番外編 信じる音楽を広く届けるには
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-166.html

10
2015年春のメジャーデビューアーティスト特集
http://natalie.mu/music/pp/majordebut_2015

【ライブレポ】
11
Awesome City Club、自主企画イベントで吉田ヨウヘイgroupらと共演 第二弾の開催も決定
http://realsound.jp/2015/04/post-2916.html

12
Awesome City Club、吉田ヨウヘイgroup&髭と祝った自主企画vol.1
http://natalie.mu/music/news/143124

 

 

 

 

*1:シティポップの新星 Awesome City Club 「36.5℃」の情熱に迫るhttp://ro69.jp/feat/awesomecityclub_201504/page:1

*2:Awesome City Club「オシャレで何が悪い」、メンバーが語るバンド誕生から “シティポップ”論まで
http://top.tsite.jp/news/i/23094689/

*3: 洋楽にあえて「」をつけているのは、洋楽という言葉がそもそも曖昧かつ恣意的な概念ではないかという主張からである。洋楽、という際には多くの日本人はアメリカ・イギリス(ヨーロッパ)のポップミュージックをイメージするのだろうが、実際その中でも様々なジャンルがあるだろうしあるいは上記の地域発ではない音楽も漠然と含意されてしまっている。本来は日本の音楽ではない音楽という意味しかないが各人がおのおのなんとなくイメージするものを託して「洋楽」と用いられるわけだが、そのようにブラックボックス的に使われることこそ、「洋楽」とい言葉の魅惑的な求心力の源泉になっているようにも思う。(ここをはっきりさせておかないといけないと思う。)

*4:2015年春のメジャーデビューアーティスト特集http://natalie.mu/music/pp/majordebut_2015

*5:大注目株Awesome City Clubが語る、新しい時代のバンド論http://www.cinra.net/interview/201504-awesomecityclub

*6:interview with Awesome City Club“オーサム・シティ”のハイブリッド・ソウル──Awesome City Club、インタヴューhttp://www.ele-king.net/interviews/004410/

*7:Awesome City Clubが明かす、バンドの成り立ちと活動ビジョン「ドカンと売れたら一番おもしろい」http://realsound.jp/2015/04/post-2940.html

「音楽について語るのは、建築について踊るのと同じだ」としても

「音楽について語るのは、建築について踊るのと同じだ」

という言葉もあるように、そもそも音楽を語ることはばかばかしいことなのではないか。

 

しかしながらやはり、それでもなお、音楽について議論すること、あるいはもっと純粋によいものを見た・聴いたときの興奮・感動を誰かと共有することのおもしろさというのがあるというのもまた事実なのでは。

 

・・・と、こんな立ち上がり方で良いものなのか、、

とにかくアウトプットしていく場の必要を感じたので、

ブログを初めて始めてしまいました。

 

音楽をやるのも聴くのも好きですが、

音楽、そして音楽を軸にしたと人の関係を考えることが好きという変わった人間でして、音楽を軸足とした社会学をかじり、

それがこうじてなのか、音楽に関わる仕事をしていたりします。

 

そんな、音楽周りの仕事にちょっとだけ片足つっこみかけている私の視点から

音楽と言説、聴衆と音楽マーケット を中心とした記事を書いていこうかと画策中。

 

 

とはいえ、私自身、あまり手広く音楽を聴けているほうではないと思います。

ブログタイトルはそういう意味です。

※ブログタイトルは試行錯誤中なので当初から変わっています。※

それでも、なるべく俯瞰的、そして建設的であろうと思っています。

 

 

生温かく、お手柔らかに、見守っていただければ。。。

考えをことばにして発信するのも初めてなのです。

 

というか、とりあえず使い方に慣れるところから・・・