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週末ひとりけんきゅうしつ

つれづれなるままにひぐらし音楽と社会をながめる人のひとりごと。

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補論: “J”という記号、ニッポンの内と外

次はceroの話をすると言っていたのですが、

一旦、短い違う話を書くことにしました。

でもこれは次の話をするのに、しっかりつながってくる話なのです!

 

新しい“シティポップ”と渋谷系について書いていくつもりなのですが

ここでその下準備を挟もうかと思います。

 

そもそも日本のポピュラーミュージックの歴史というのは、

明治以来、「日本の内と外」という二項対立的構造の意識の中でつむがれ続けているものではあるのですが

今回は“J-POP”と日本の内と外の関係を断片的に拾い上げます。

 

よってそこまでの歴史は全く今回は説明しきれないのですが

渋谷系ブームとも前後する、“J-POP”の誕生を起点に非常にざっくり!まとめてみました。

 

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“J-POP”とはご存知の方も多いと思うが

90年代の初め、当時、洋楽しかかけなかったJ-WAVEが、日本のポピュラーミュージックをかけるにあたって、

「欧米に比肩する日本製のポピュラー音楽」

という意味で編み出した言葉とされている。

 

明治からその時点まで、欧米の音楽を吸収してその過程でオリジナリティを創り出し「世界に認められる」ことが1つの命題であった日本のポピュラー音楽のあり方というのは、

“J-POP”という言葉が生まれたその瞬間もなお、「進んだ欧米/追いつけない日本」構図を下敷きにしていた。

 

ということはつまり、“J-POP”というのは、「欧米に比肩している」という内実よりも、言葉のほうが先に作られた概念なのである。

 

そのことがなにを示すか。

“J-POP”という言葉が生まれたその時点において「日本製のポピュラー音楽は欧米に追いついた」ということに“してしまった”ということだ。

 

もちろん、この考え方は、日本はポピュラー音楽において「文化輸入国」であり後発国であるという前提に立ったものである。

 

その前提はひとまず認めるとしよう。

 

そうすると、自らの「世界に認められる」ことを1つの大テーマに持ち続けた日本製のポピュラー音楽のあり方というのは、

“J-POP”という言葉が生まれたことで、むしろ海外を指向する必要性がなくなったわっけである。

 

よって“J-POP”という呼び名で呼ばれるようになったことを起点に、日本製のポピュラー音楽は、ドメスティック性を深める方向にシフトしていったとも言える。

 


さて、ここまでが“J-POP”成立前夜の話だとし、そこからざっと20年強が経った現在の日本である。

“J-POP”がすっかり浸透し海外に憧れを抱く必要性がなくなったからか、

人々は“J-POP”で自給自足すれば満足できるようになった。

(若者が洋楽を聴かなくなったと言われるようになってからも久しい。)

 

海外を指向しなくてよくなったはずの日本製のポピュラー音楽“J-POP”は、

今、自らを海外に売り込もうとしている。

 

それは、ひとつには、国内の少子高齢化、市場の縮小を見込んだ単純明快なグローバル戦略とも言える。

 

だが一方でBABYMETALや初期のきゃりーぱみゅぱみゅなどは、ただ海外でウケた、というだけでなく

そのことを「欧米でも人気!」といった具合に、逆輸入的に見せるやり口が、日本国内でプロモーションとして効いた、という話も聞く。

 

“J-POP”だけ聴いてればOKという通奏低音もしっかりあるのだが、

しかしながら「進んだ欧米/追いつけない日本」という構図意識もいまだに我々の中にはしっかりと根を張っているのではないだろうか。

「欧米=ホンモノ」という意識がやはりいまだに根強くあるからこそ、

「欧米のお墨付き」という黒船宣伝効果はそれなりに効果を発揮するのだと言える。

 

ただし、この「欧米のお墨付き」は、果たして「欧米に同等として認められた」ことと等しいと言ってよいのだろうか。

いわゆる“COOL JAPAN”であったり、“J-〇〇”として海外に注目をされるそのあり方というのは、

述べてきたように、日本がポピュラー音楽において“J-POP”という言葉でもって「鎖国」をしたことで、

日本人にしかウケないニッチで独自な方向性を突き詰めた文化が(それが国内ではタコツボ化を招いている一因でもあるのであるが)

現地で、ある種のエキゾチズムをもっておもしろがられている、という側面も強いのではないだろうか。

BABYMETALやきゃりーぱみゅぱみゅなども言ってみれば現地ではサブカル的なおもしろがられ方であって、決して王道として評価されているわけではないとも聞く。

(BABYMETALはメタルレジェンドなどに孫のようにかわいがられSNSなどに投稿されるから注目されがちなのであって、実は実際のメタルファンからの支持はごく一部である、とも聞いたことがあるが果たして・・・。)

 

 

要は結局、私たちはこの“J”という厄介な記号を纏うことで

この20数年、「ホンモノ」というその超えられない壁にお手上げして開き直ってきたのではないだろうか、などと考えてしまうわけであった。

 

さて、この前提をもって、

ceroの新譜“Obscure Ride”のキーワードである

“Obscure(曖昧)”と“Eclectic(折衷)” 、そして“Replica(模造)”の意味に迫ることができそうである。

 

ということで、次回こそ、やっと本題に入ってゆきます。