週末ひとりけんきゅうしつ

つれづれなるままにひぐらし音楽と社会をながめる人のひとりごと。(もはや週末関係ない)

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音楽の魔法の“かけられ方”に口を出したくなるリスナー事情 ≪雑記≫

・・・さすがにこうも放置するのはどうかと思ったので、つなぎですけど、とりとめもないことを書こうかと思います。オチは無いです。

 

私はGalileo Galileiは全然聴いてこなかったんですけど、今度のアルバムは、仕事をしながらふと耳にして(ラストアルバムですが)とってもハッとしました。

 

Sea and The Darkness(初回生産限定盤)(DVD付)

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作品そのものの感想は別の機会に(あるのか?)、、として、

当ブログとして気になったのはこっち。。

 

まあここで私がこのように意見を述べていることすらすでにアレなのですが、
「近年」というところがちょっと気になりまして。
「以前との違い」の匂いがするもの、いちいち気になるんですよ、ハイ。。


さて、ここ数年一般人によるそういった言説が増えてきたことには大きく3つ、時代の流れとしての要因があると思うのですね。

 

1.UGCの普遍化

一般個人が、つぶやき・数秒動画投稿などもすべて含め、ネット上でコンテンツを発信するということが当たり前になったと同時に、何かに対し意見、評価するということもまた普遍化したのが、ここ数年であると思うのですね。
もちろん、だいぶ前から起こっていることではあるのですけど、レイトマジョリティにとってもSNSがインフラ化したのはやっぱり特にここ数年なのだと。
twitterに代表されるSNSがそうしたレイトマジョリティにも本格的に一般化したのは3.11がきっかけだったとも言われていますし、実感としても2010年くらいはまだ早耳な人たちがぼちぼち使い始めたくらいだったなあと思い出しています。

これは、そもそも一個人の意見が単純にオープンになって目立つようになった(アーティスト個人にとっても簡単に目に付くようになった)ということとも言えます。


2.個人での音楽制作環境の容易化
これは前の項目を音楽に絞ったような内容ではありますが、個人での音楽制作環境はここ数年で劇的に進み、またその発信の場や方法も多様になってきたので、いち個人が楽曲制作者となる事のハードルが、以前よりも下がってきました。


とは言え、みんながみんな楽曲を作るわけではないのは確か。
けれども一つ言えるのは、誰でもその気になれば「そうなりえる、チャンスは開かれている」という環境は整えられたということ。


実際宅録でプロ並みの音源を作ってしまう人も最近は多いですよね。ハイクオリティな楽曲制作ノウハウは、もはやプロミュージシャンの特権ではなくなりつつあると言える時代にあるのかも。

少なくとも、プロとアマチュアの境界は以前に比べれば、曖昧でぼやけたものになっています。

こうした「プロ」の位置づけの相対的な変化は、たとえ実際自分で楽曲を作らない人にとっても自身もまたプロと同じか近い地平に立つことができるという錯覚を無意識のうちに与えているのかもしれませんね。言い換えると、「プロ」の神格化のベールが剥がれつつある、ということ。

それゆえに、プロの作った楽曲に意見したくなる、「なんちゃってA&Rマン」に陥っていく人は多いのかも。

まあ実際に、「やる」と、「やろうと思えばやれる環境ではある」ことの違いはもちろん大きいと思いますが。


3.音楽市場の縮小の顕在化
正直言うと実はこれが一番大きい要因ではないかと思ってます。

昨今、音楽市場の縮小についての話題は耳タコというくらいにあふれかえっては一般の人にも認識されるところとなっているかと思いますが、

以前は音楽業界といえば、きらびやかでスターダムなイメージが強かったと思います。

もちろん今もそうしたイメージはあるかもしれませんが、

やっぱり「音楽業界って今キビしいんだってね」「CD売れないんだってね」「アーティストも昔みたいに食っていけなくて大変ね」という悲しいうわさのもと、“エンターテイメント産業”としてのシビアでビジネス的な側面の存在自体が見え隠れするようになってきたのがここ数年ですね。


音楽業界という謎のエリアは、未知のベールに包まれているからこそ、ある意味特別な憧れの存在だった。
それが音楽エンタメはいまや食っていけないと、暴かれ始めているわけです。

たとえるなら、ディズニーランドの裏側で、ミッキーの中からヘトヘトになって出てきたおっさんを見ちゃったような感じでしょうか?(あまり上手い例ではなかった・・・)


夢のベールが剥がれて現実が浮き彫りになった。「音楽業界は腐ってる」なんて言われれば言われるほど

「だったら、もっとこうしたほうがいいんじゃないの?!」

・・・と、つい聴き手も口を挟みたくなっちゃっている、ということ。

 

良い音楽を作れば勝手に売れる時代は終わった、と聴き手もすでにわかっている。

聴き手も、ただアーティストの魔法にかけられて夢を見せてもらうのではなく、

“魔法のかけられ方”に意識が向くようになっているのでしょう。

 

 

さて。

私個人の意見としては、こうした時代の流れもありますし(特に1.2.は純粋な、時代にしたがった環境の変化なので)
一般人がA&R気取りで意見することそれ自体については、別段目くじらを立てることでもないと思っています。
(まあ私もそんなカンチガイ野郎の一人なわけですし。笑)

なので尾崎君のは過剰反応のようにも感じてしまいますが(というかたぶんそういう性格なんでしょうけど)、きっと誰ともわからない人が無責任で辛辣なことを彼に浴びせたりしてたんでしょうね。。。


でも、3.で書いたように、

音楽(で生きていくにあたって)は「夢」の部分だけを見せられなくなってきているということに興味関心を抱くリスナーがいるとともに、最近では、そのことを自分たちでも考え、向き合うアーティストも現れてきていますが、
一方で、現実なんて見たくなくて音楽の魔法に盲目でありたいリスナー、そしてそうであることをリスナーに求めるアーティストも現状たくさんいる気がします。

どちらが良いのかはわかりませんが、でもきっと、音楽の「夢」だけではない現実は、これからもさらにオープンになっていくでしょう。


CDを売るということだけに依存するところからどう変わっていけるかに、音楽(業界)の未来はかかっていると思いますが、でも現状、そのやり方はまだ試行錯誤の渦中なんですよねえ。

そのひとつとして、「夢」だけでない部分をあえて提示しながら、リスナーやファンとの新しい関係性を結んでいくアーティストも、どんどん出てくるのかもしれません。

 

(抽象的な結論になってしまった・・・汗)