週末ひとりけんきゅうしつ

つれづれなるままにひぐらし音楽と社会をながめる人のひとりごと。(もはや週末関係ない)

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ROTH BART BARONは音楽の未来を“取り戻す”ー小さな巨人たちへの5つのまなざし(5)-2

5.作品の「かたち」:「音楽」のかたちの未来(後編)

 

ROTH BART BARONは、楽曲や音源のかたちをイチから捉え直そうと模索しながら、ここ数年のうちに一気に加速した音楽の聴き方の地殻変動が生み出した新しい視聴習慣にむけて誰よりも積極的にアウトプットを試みているバンドであることは、ここまでですでに伝わっているだろう。

 

何度も言うようだが、彼らにとって「作品」は、音源パッケージだけを指すわけではないということなのだ。

そして、その思想が、目に見える一つの塊として我々にはっきりと提示されたのが、昨年末のバンドの主催イベント《BEAR NIGHT》だ。

 


BEAR NIGHT - digest - Dec 20th 2016

 

 

その日リキッドルームに一歩踏み入れ、目の前の階段を上がったその先がこちら。

 

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筆者撮影

 

クリスマスが近かったということもあってか、おなじみのロゴマークとクマが赤と緑で刷られたポスターが目に飛び込む。奥へ進んだ2階スペースには、三船本人が来場者と対面しながらサーブするコーヒースタンド、メンバーの考えたフードの販売、といったブースが設けられ、ライブだけでなくそこで思い思いに過ごすことができるようなムードができあがっていた。

 

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▲会場で販売していたフード(筆者撮影)

 

 

その横では、彼らのお気に入りのレコードを壁一面に並べて、それらに一つ一つ自分たちでコメントを綴った帯をつけて紹介。そこでそのまま買うこともできた。

そこは自分たちがどんなものに影響されてきたかというプレゼンテーションでありながら、他のアーティストの作品への彼らの深い愛情とリスペクトを感じられる暖かなスペースで、中でも筆者もじっくり足を止めたスペースだった。

 

f:id:seaweedme:20170528175151p:plain出典:http://www.rothbartbaron.com/

▲パッと見える範囲でもウィルコ、カレン・ダルトンニュートラル・ミルク・ホテル、ホイットニー、カート・ヴァイルなどルーツ・ミュージックやフォークを下敷きにしたアーティストから、ジェイミー・エックス・エックス、セイント・ヴィンセントなどエレクトロニックな志向のジャンルまで幅広い。レコード一つ一つに選盤の理由が付されていて興味深かった。

 

 

当日は彼ら自身のライブ以外にもゲストのライブのタイムテーブルも組まれていた。リキッドルームという空間を自由に行き来しながらその雰囲気全体を楽しめる仕掛けだったのだろう。

 

もちろん彼ら自身のライブも素晴らしい出来だった。

初の9人編成で様々な楽器を駆使した演奏は、普段のライブでは再現できていない部分まで含め音源で聴いていた通りの、いや、音源には無いバイオリンや打楽器のアレンジも加わったことでさらに厚みと深みを増し、(奏者が前後横二列に並んでいた視覚的な効果もあってか)オーケストラのような圧倒的な華やかさがあった。

また普段のライブでは代わる代わる弾かれる(あるいは無い場合もある)ベースが全編通して演奏されていたのもこれまでと大きく違うところで、地をうねるようなベースのグルーヴが、まるでクマのような大きな生き物がそこに立っているかのような生命力を楽曲に吹き込む、重要な役割を果たしていたのが印象的だった。

普段はじっと聴き入るようにして大人しいタイプであるこのバンドのファンたちも、ライブが進むにつれて控えめながらも身体を揺らし始め、いつになく力強い演奏にいつの間にか熱い声援で応えていた。平日とあって観客こそ少なめではあったものの、今まで観た中でも1番と言っていいほどエネルギーに満ち溢れていたライブを創り上げたこの日のメンバーの顔は、晴れやかで誇らしげに見えた。

 

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 筆者撮影

 

www.youtube.com

▲1時間46分にわたる当日のライブがフル尺で公式にアップされていますので気になるなる方はぜひ。

しかしライブをフル尺でアップするアーティストなんて日本にはほとんどいないのでは…やっぱりロットは攻めまくってます。

 

バンドの企画するイベントというと、どんなに本人がコンセプチュアルにブッキングしたつもりであれ、観客にしてみれば結局のところ、単なる対バンイベントを超える意義を感じられるものは、正直言って稀だ。

 

対して、この《BEAR NIGHT》は、ライブだけ観て何かが伝わるという性格ではなく、彼らが創り出したパーツひとつひとつが、きちんと彼らがこれまで育み培ってきたことを表現し、そしてその上で、彼らのやりたかった編成でのライブを演るというものだった。

そんなライブには余計な説教じみたMCなんて必要なかったし、実際そんなものはなかった。ただ彼らの充実した顔つきが物語っていた。それだけで、十分だった。

 

言葉ではない。説教でもない。バンドの「全身」を使った表現であること。

その「場」そのものだけがメッセージを物語っていたからこそ、そのイベントは“ROTH BART BARON”という作品になり得ていたのだ。

 

 

さらにバンドはその直後、ヨーロッパでの活動のためのクラウドファンディングを開始。

 

これは楽曲やプロダクトを作るための資金調達ではなく、活動プランのアイディアを実現するためのものなのだそうで、それもまた彼ららしい面白いところだ。

新しモノ好きな彼らにしては手を出すのが遅いようには思ったけれど、「イギリス・ヨーロッパにアプローチするためのマテリアルを作成して、ツアーの可能性やサポートしてくれるレーベルを探す足がかりとなる、プロモーションから始める」というのだから、その分、彼ららしいチャレンジングな内容にもなっている。

 

※なお現状、EP盤の最終的な完成には時間がかかっている模様。「UKでの活動」という流動的なプロジェクト内容であったからこその、良き誤算だろう。

camp-fire.jp

 

この、「活動プラン全体を一緒に楽しもう」といった趣旨(彼らはクラウドファンディングを「お祭り」と表現していた)にも彼らの「作品」観を見ることができるだろう。

 

例えば、ミュージシャンのクラウドファンディングには、何かを作るためのプロジェクトを用意しリターンとしてその商品を届ける、というように、言ってしまえば結局は単なる売買とあまり変わりないような使い方、あるいは、「資金を出してくれたお礼にバンドメンバーと遊べる」といった上から目線というのだろうか、ファンサービスの“押し付け”(またはあからさまな客集め)のようなリターン…といった内容のプロジェクトが多い。

しかし、それだけでは、今一歩、新奇性に欠けている。

 

そんな状況に、少々興ざめしていたところだったが、今回のROTH BART BARONのプロジェクトのリターンに用意されているものは、ほとんどがその資金を元手にしたヨーロッパでの活動を通じた、様々な成果物だ。

 

つまり、ここでは「活動そのもの」が一種の彼らの作品なのだ。ヨーロッパの多くの著名なアーティストを手掛けるプロデューサーやアートディレクターを起用した作品を制作し支援者に届けてくれるのだから、とてもワクワクするし、もし成功すれば活動に賛同したことを誇りに思える。そしてそこに、単なる物の売買を超えた、アーティストとリスナーの「関係のかたち」を生み出すことさえできるだろう。

 

やってみて面白いなと思ったのは「アルバムを作ります!」という単発のプロダクトへの投資ではなく、形のない音楽ーーつまり信頼の置きにくいものを提示しているものの、実際は7インチもMVも、うまくいけばドキュメンタリーも手元に届くし、人によってはそれを一緒に見ることもできる。ある意味ボックスセットのようなパッケージングがされていて、新しい発売方法に思えてきたんですよね。

(中略)

もちろんCDはすごい発明だと思ったし、僕も小さいときからすごく馴染んできたものなのですけど、不都合になってきたり、どんどん主流ではなくなっているということは肌で感じていて。だからこそ、自分たちの音楽をそれぞれの形で聴けるようにミュージシャンが用意する必要はあるし、あえて制限することでプレミアムにする方法もあると思う。僕らは、2017年も引き続きいろんな可能性にトライしていきたいんですよ。

なぜROTH BART BARONはUKに挑むのか 「今、何かが起きてるのはヨーロッパなんだ」 | Real Sound|リアルサウンド より三船の発言を抜粋)

 

 

作品の、そして音楽の「新しいすがた」。

今回のイベントやクラウドファンディングを通じて、ROTH BART BARONはそれを我々に投げかけ続けている。

 

アウトプットするものがすべて、表現であるように。

彼らはその意味を今の時代の我々に問いかけ、作品のすがたを再定義する存在なのだ。

 

〔おわりに〕

これまで見てきたように、彼らは、実験精神を重んじ、最新の技術や音楽のフォーマットにも果敢に、そして無邪気に、チャレンジしていく。そういった点では、未来的なバンドでもある。

けれど同時に、その無邪気さも含め、彼らの中で前提にあるのは、音楽の根本のすがたやあり方に立ち戻ることだ。

 

すっかりフォーマット化されて忘れ去られてしまった音楽の本来のあり方を、現代の人々の音楽との関わり方やテクノロジーの変化の一歩先をいく形で、大胆に体現していく。それこそが彼らの活動に対する姿勢の最大の魅力であり、今、彼らが必要とされなければならないゆえんでもある。

 

CDを出す、ライブをする。その繰り返しの範囲に無意識に囚われてしまうことの、想像力のなんと狭いことか、というごく当たり前だけどずっと私たちが忘れていたことを、彼らの一挙手一投足は思い出させてくれる。

 

彼らの音楽のやり方は、とうに忘れ去られた「過去」でありながら、しかしそれこそがこの先の音楽のかたちの未来を照らし出しているのかもしれない。この記事を読んだ人にならその予感が伝わるはずだ。

 

そんなROTH BART BARONの活動がエキサイティングでなくて、一体他になにがあると言うのだろう?

 

 

これでこのシリーズはお終いです!

長々とかかってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!

ROTH BART BARONの活動が、今いかなる意義のあるものか、

この記事が多くの方のヒントに少しでもなれるならば嬉しいです