週末ひとりけんきゅうしつ

つれづれなるままにひぐらし音楽と社会をながめる人のひとりごと。(もはや週末関係ない)

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cero/Obscure Rideを“シティ”と“ポップ”に分解する―(1)“ポップ”=対抗文化性

初めに…このエントリーの内容はもうとっくに考えてはいたのですが、私がぐずぐず文字に起こしかねている間に、ほぼ同じ論旨の記事を金子厚武さんが書かれました!笑


良く考えれば私がこの記事を練るのにおおいにヒントになった記事の1つが金子厚武さんによるものなので、そういう意味では至極当たり前なのですが。

・・・ということで大変二番煎じ感がハンパないのですが、恥をしのんで書きたいと思います。。
著名な(私も好きな)評論家さんと意見を同じくしているということは、逆に安心感もあるものですね。

www.cinra.net

そんなわけで上記の記事と似たような結論には落ち着きますが、
ただ一応、これまでポピュラー音楽における「日本の内と外」という観点を論じてきたので、その切り口から、小沢健二/Eclecticに影響を受けながらもなぜ“Obscure”という言葉を選んだのか、そしてバンドブームと渋谷系の関係性、などといった点について、

「J-POP」というものを軸にしながら、上記の記事よりもう少し丁寧に掘り下げたいと思います。

 

今回は長いです。。お付き合いください・・・

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■“Obscure”の意味

さて、本作がブラックミュージックを積極的に取り入れたものであることは各所にて言及されている通りであり、あえて今更言うまでもない。

だが一方で、その要素のすべてを取り込んでいる訳ではないこともまた事実であり、その点については下記記事で言及されている。

 

realsound.jp

 

ブラックミュージックといえばブラザー&シスターであり、性でありっていう、そこはひとまず置いておいて、とりあえず「構造を取り出す」ということに主眼があって。あくまでもやっている人間のパーソナルは変わらないわけだから、歌の内容に関しては地続きであっていいんじゃないかなって。荒内発言より抜粋

 

精神性や宗教・思想、文化的な違いについてはあえて足をつっこまず、楽曲の構造のみ取り出すという換骨奪胎―それはつまり、そもそも自らは「ホンモノ」ではない、「ホンモノ」にはなれないという認識のもとに立っているからこそである。
前記事で言及した、小沢健二の“Eclectic”との違いはまさにこの点である。

 

歌われる内容までもブラックミュージックに限りなく近づけていくことを試みた小沢健二の“Eclectic”に対し、本作は「日本人である自分たちはやはり決して『ホンモノ』ではない」という自覚をむしろ積極的に捉えている。

そして、ガチガチに「ホンモノ」に縛られないからこそ生まれるホワイトポケットの存在が、ポップスの解釈の幅を広げ再構築することに大きく寄与していると言えるだろう。

thesignmagazine.com

 

R&Bやヒップホップのマナーの消化が間に合わなかったとか、スキルが追いついていないということでは断じてない。意識的に間に合わせない、追いつかせないことから生まれる自在な解釈と創作性に、彼らはロマンティシズムを感じているのではないだろうか。(岡村詩野レビューより抜粋)

 

そしてそれは、日本においてブラックミュージックを体現しようとし、だが結果的には(図ってか図らずか)「どこまでいっても『ホンモノ』にはなりきれない、モノマネに過ぎない」という自意識をある種の孤独感とともに提示することとなった小沢健二の“Eclectic”の存在を前提としているからこそ成立するものであったのだ。

 

岡村詩野氏も上記のように言及している通りだが、

「ホンモノ」を真摯に研究・追求しながらも、すべての要素において「ホンモノ」に縛られず自由な解釈を与えていくという点において、二項対立のモノを合体させようとする意味での“Eclectic”ではなく、

あくまで一方のモノを、別のモノ(つまり自身の生活感 ※この点は次回のエントリーで言及予定)に引き寄せていくことで、「二つのものの境界を曖昧にしていく」という意味で“Obscure”というタイトルを冠していると考えるとその意味が改めて腑に落ちる。

 

■メインストリームと化した「ロック」へのカウンターとしての「ポップ」

「J-POP」の成立については、前回・前々回にて軽く触れた通りである。
総称としての「J-POP」が日本製のポピュラー音楽を覆い、我々はそれまで連綿と命題とされてきた「洋楽への憧れ」(※欧米のように独自のポピュラー音楽カルチャーを日本に生み出すこと、という解釈である)を放棄することとなり、それは結果として、ポピュラー音楽の“J”化を加速させた。

すなわち、独自のポピュラー音楽カルチャーを生むための試行錯誤をやめたことによって、日本製のポピュラー音楽はある種の様式化を見せていく。

 

またその現象は、ロックカテゴリにも浸食した。
日本製のロックミュージックの、とりわけ若手のアーティストについて「ロキノン」という呼称が一般的になり始めたのは、おおよそ2000年代半ばのようである。そしてそれとほぼ同義として“J-ROCK”という言葉も使われるようになっていく。

 

※ちなみに「Yahoo!知恵袋」で「ロキノン」と打ち込み検索をかけると、「ロキノン」が含まれる投稿は2008年から急増しているため、少なくとも2008年頃にはすでに一般的な用語として浸透していたように思われる。(2004年:2件、2005年:9件、2006年:2件、2007年:13件、2008年:45件・・・ただし若干の誤差はあろうと思われる)


偶然か、あるいは当然の結果か、小沢健二の“Eclectic”と入れ替わるようにして同時期から日本製のロックミュージックの一部が“J-ROCK”としてカテゴライズされ顕在化、存在感を強めていった。そして現在に至る。

 

そんな中、ceroは本作においてこれまで自らの“contemporary exotica rock orchestra”という看板を降ろし、あえて“contemporary eclectic replica orchestra”という看板を掲げた。

“rock”から“replica”への変貌の意味するところ、それがすなわち、今日の“J-ROCK”化した―意地の悪い言い方をするならば、様式化した―日本製のロックミュージックカテゴリへの揺り返しである。

 

上記に挙げた以前の記事においてAwesome City Clubが「速くて、四つ打ちで、一体感を煽るような」昨今、メインストリームと化したロックバンド群に明確な違和感を呈し、

その上でブラックミュージックをバックグラウンドとした楽曲を展開、それでいてポピュラリティを重視していることを指摘したが、それと似たようなことがceroについても言えそうである。

 

すなわち、メインストリームと化しながら様式化したものが今日の日本の「ロック」ならば「ロック」でなくていいという意味での、「非・ロック宣言」としてceroの“R”の“rock”から“replica”への変貌を位置づけることができる。

だからこそ、彼らのやっている音楽は、広義の意味での「ポップ」―すなわち「ロック」ではないものという意味での、「ポップ」なのである。

 

さらに、そのスタンスのことをあえて“replica”と自称することは、様式化した「ロック」はもちろん、自身も含め、いずれにしても「ホンモノ」ではないのだ、という日本のポピュラーミュージックの原点に我々を引き戻す作用を持っているようにも感じられる。

 

 ■カウンター性からみる渋谷系との類似点

なお、こうした、タコツボ化・様式化しメインストリームとして消費されるようになったロック風のカテゴリの一群に対して、「ポップ」というスタンスによって、それらと距離を置くオルタナティブなあり方を体現したという点において、今日の「新しいシティ・ポップ」は渋谷系と相似形をなしている。

(このことは、以前のエントリーでも言及済みである。)

seaweedme.hatenablog.com

 

様式化した「ロック」に対し、楽曲の構造に着眼し、真摯に向き合うことによって新しさを生み出そうとする今作におけるceroの姿勢についてはここまでも引用してきたものも含む、下記のようなインタビューの中に見受けられる。

www.cinra.net

realsound.jp

 

金子厚武氏は「新しいシティ・ポップ」と渋谷系の相似について、田島貴男のインタビューを用いて提示している。私もその部分を引用しておくことにしよう。 

www.cinra.net

2010年ぐらいまでは、ロックらしい音楽が長いことブームとして続き過ぎたというか、渋谷系が出てくる前の状況と似ている気がしました。渋谷系が出てくる前も、破壊的、ロック的なインパクトがあるイメージを打ち出しているけれども曲は工夫されてなく、そんなに面白くないバンドが多かった。(中略)

きっと渋谷系の人たちは、その反動で楽曲主義の人が多くて、アーティストの気合いとか物語性とかよりも、曲の構造をこだわって作る人が多かった。やっぱり今の状況と似てる気がするんですよね。 (田島貴男発言より抜粋)

 

また、大衆音楽研究の分野において現在第一線で活躍する輪島裕介氏が、「ユリイカ『特集 はっぴいえんど』」(青土社、2004年9月号)に寄稿した論文において、90年代以降のはっぴいえんどの再評価の過程を示す中で、渋谷系について以下のような指摘をしている。

意識的に「ポップ」なスタンスを取ることによって逆説的に現代的な「対抗文化」の真正性を確保しようという意志も窺える。


「ピチカート・ファイブは様式化したロックに対する対抗として、フリッパーズ・ギターは様式化したパンクに対する反発として生まれた『ネオアコ』に影響を受けて、出発したに違いない」(後者は編集者/ライター 川勝正幸氏の著書の引用)

「『はっぴいえんど神話』の構築」―ユリイカ『特集 はっぴいえんど』(青土社、2004年9月号)、p.188

 

すなわち、「イカ天」を軸としたバンドブームの肥大化とロックミュージック(のようなもの)の裾野の広がり、またそれに伴った、内実を伴わない有象無象のロックのフォーマットを踏襲したバンドの出現(中には当然、後に影響を及ぼすようなアーティストも存在したが)、そしてそれらが泡沫のように消えていったこと―

そういった事象に対するカウンターとして、当時の渋谷系を位置づけることができるということである。

そして、その状況がここまで述べてきたような今日の「日本のロック」をめぐる状況に似ているということを指摘することができるというわけである。

 

Awesome City Club然り、cero然り、「新しいシティ・ポップ」と呼ばれるアーティスト群の「ポップ」の要素とはすなわち、このように対抗文化性に依拠するものと捉えることができるのではないだろうか。

 

■単なる相似形とは言い切れない「新しいシティ・ポップ」と渋谷系の関係

ただし、留意するべきは、渋谷系は金子氏の指摘のように、バンドブームに対する、その様式化へのカウンターとしての側面を持つ反面、

当時のバンドブームは、英米のロックのような、歴史とバックグラウンドを持った日本独自のカルチャーが生み出されることへの期待感もまた背負わされていたということ、

そして、しかしながら、バンドブームはその名の通り一過性のブームとしてあっけなく収束したため、そういった期待の挫折を招いたという部分である。

 

そのような状況を受け渋谷系は立ち現れ、例えば、原曲の文脈から切り出してコラージュしてしまうような、フリッパーズ・ギターのような手法を通じて、英米のロックのようなカルチャーを生み出すという日本のポピュラー音楽の長年の命題の無効化を、やってのけてしまったわけである。

そして、そのことがJ-POP成立の1つの契機にもなったという側面もまた、渋谷系は持っている。(以下記事参照)

seaweedme.hatenablog.com

 

よって、対抗文化性という側面のみ切り出せば、今日の「新しいシティ・ポップ」は渋谷系と相似形という具合にも見えるが、

一方で「新しいシティ・ポップ」のカウンターの相手である“J-ROCK”はJ-POPの枠組みの中から誕生したカテゴリであることを考えると、

実は、それら4者の関係は、以下のような関係にあるとまとめられる。

 

f:id:seaweedme:20150719165824p:plain

 

 

私は先に、ceroの本作について「自身も含め、「ホンモノ」ではないのだ、という日本のポピュラーミュージックの原点に我々を引き戻す」ものであると書いたが、とはいえ、だからこそ彼らは日本ならではのオリジナリティ(=カルチャー)を追求していることは留めておかなければならない。その意味においても、渋谷系とは若干趣きを異にする部分であろう。

 

「対抗文化性」の側面を紐解くと、様式化への対抗と、「ホンモノ」ではないことを受け入れながらもその境界を“Obscure”にしていくことでなんらかのオリジナリティ(=カルチャー)を生み出そうとする2つの側面が(それぞれ一部重なり合って)浮かびあがってくる。

 

 

なお、「新しいシティ・ポップ」は「同時代性」という点においても渋谷系と共通している部分がある。次回はその点を掘り下げながら彼らの“シティ”の側面を見出していきたいと思う。