週末ひとりけんきゅうしつ

つれづれなるままにひぐらし音楽と社会をながめる人のひとりごと。(もはや週末関係ない)

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「ネオ・シティポップ」という新しいカウンターカルチャーの在り方の可能性 ― (2) Awesome City Club、ポップネスのなかの冷めたアンチテーゼ

前回の続きです。

 

 ACCのインタビューなどを紐解いていくうちに、「メッセージがない」というスタイルこそが実はある種のメッセージでもあるのでは、という逆説的な考えに至ったのですが、

そういった意識がバンド内で醸成されていった過程の中には
彼らのもともといた「下北沢のバンドシーン」とはオルタナティブなバンドの在り方を提示する意識が少なからずあったのではないか、と(勝手に)感じています。

 

そんな「下北沢のバンドシーン」を強引かつかなりざっくりと概観しつつ

ACCとどのような点において異なるのか、考察していくのがテーマです。

 

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「下北沢のバンドシーン」といっても非常に曖昧で一言にはもちろん語れないが

(そもそも「下北沢」とくくるのもかなり強引だが)インタビューなどで彼らが意図するあり方は、

仲間や友達同士でバンドを組み、自主制作などでCDを作ってライブの時に売り、地道にライブを重ねてお客さんを増やす。あわよくば、インディーズで力をつけてメジャーデビュー、

乱暴に言ってしまえば、仲間同士で地道に活動し勝ち上がって夢を掴む、

というあり方を理想とするスタイルだ。

(ジャンプ風に言うと「友情・努力・勝利」型とも言えそうである。)

 

彼らが以前のそれぞれのバンドでうまくいかなかったという経歴を持っているということ、またそうしたやり方のバンドたちが(音楽的には良いものをやっているにもかかわらず)頭打ちになっている現状を見てきたということが関係している、と語られているように、
彼らはそういった活動スタイルを明確に拒否している。その点では、非常に、ドライでリアリストであり、冷めた感覚を持っている。

 

インタビューから見えてくる在り方は、具体的には

■ライブ以上に、制作に重きを置き、まずはCDを焼いて売るのではなく、音源をスピーディーにネットで広める

今まで自分たちがやってきたインディー活動――ライヴやって、デモ作って、みたいなステップアップしていく手順を全部ナシにして、最初から違う形にしたかった*1 

もともと僕らがいた下北沢のバンドシーンは、ライブをたくさんやって、集客のためにフライヤーをまいて……という地道なやり方が主だったんですけど、それだとスピードが遅いと思ったんです。まずデモCDを作って物販で500円とかで売ることにも、いまいち合点がいってなかった。*2

 

■ビジョンを明確にし、それをどう見せていくかを練った上で活動

アー写を作るなら作り込んだものにしたいし、ホームページを作るならちゃんとしたものにしたい。キレイじゃないものを世に出すくらいなら、何もしない方がいいっていう考えで。*3

 

といったところだろうか。
(メンバーを決める際に、こういう人が必要だから、というところから、探したというエピソードも、ビジョンを明確にして活動するというところにあてはまる。)

歌詞、音楽性についても、「下北沢のバンドシーン」なるものとは対称的だ。

 

比較対象とする「下北沢のバンドシーン」

――このまとめ方、そして以下の解釈はかなり強引だと自覚しているが、どうか今回は不勉強を許してほしい――
言ってみれば、現在のいわゆる「ロキノン系」と呼ばれる若手バンドは(実際に下北沢で活動していたかどうかは別として)
仲間や友達同士でバンドを組み、地道にライブを重ねてファンを増やし、インディーズで力をつけてメジャーデビュー、

というあり方で人気者となった、という(実際はどうなのか、というところはこの場で断言はできないが、少なくとも、そういった)イメージをまとっているという意味で、

「下北沢のバンドシーン」というものにある程度該当するとしよう。

 

さて昨今、どこかしこでも出てくる話題だが、
ロキノン系」と呼ばれる若手バンドの曲は、ロックフェスブームとも相まって、
テンポが速く、激しく、縦ノリで、ライブでの一体感を煽るようなものが増えていることが指摘されているのは周知の通りだ。
会場はさながらスポーツイベントのようでもある。

 

また、若手、ということもあり、若さゆえの初期衝動、あるいは、同世代のファンに訴求するような、同世代・同時代的な共感を煽るメッセージ性が歌詞作りのベースにある傾向が強い。
※(失礼ながら)ルックス、という点でも、いたって普通、だが普通で友達にいそうだからこそ、同世代には最大に求心力があるとも言えるのかもしれない。

 

ACCは、これまでも述べてきた通りだが
「メッセージ」「速さ」「一体感」という点においては、カウンターを打つつもりだと明言している。

「メッセージ」については、前回の記事の通りだが、

例えば、「速さ」についてはこんな具合だ。

ACCを始めたときくらいにちょうど日本のバンドシーンのBPM問題みたいな話がメディアでも出るようになって。(略)自分でそこにカウンターを打つみたいな意識はありましたね。*4

 

BPMに関しては「みんなちょっと速すぎない?」って思いはありますよね。だから、なるべくムーディーでゆったりしたビートでやりたかったし、歌詞に関しても、できるだけメッセージ性をなくして「音楽の力だけでアガろうよ」っていうものにしたかった。*5

 

また彼らは、みんなで一緒に盛り上がるというライブ、ではなく、
多幸感のある「空間」を作り、お客さんに提供するということを意識しているようだ。

 僕らのライヴが素敵なBGMであったらよくて。(略)ACCがライヴをやってるなら、そこは絶対におもしろい場所だろって思って来てもらって、ライヴを観るよりも誰かと話したくなったらバーカウンターにお酒を飲みに行ってもらってもいいし。最終的にお客さんが“今日は楽しかった”って思ってもらえる空間を提供したいんですよね。*6

強いられた「一体感」ではなく、様々な人が心地よく好きに振る舞うことで有機的にできあがる「空間」を作る、そしてそれを包み込む彼らの音楽、という位置づけ。


だからこそ、歌詞に共感を煽る具体性や、メッセージは不必要なのであり
年代や地域も雑食で、しかしながら、とにかく心地よくそして大衆的な音楽性が必要となってくるのだろう。
主流の「ロキノン系」の特徴である「メッセージ」「速さ」「一体感」は彼らの目指すものにとってはむしろ邪魔なのではないだろうか。

 

※なお、これも一時期物議を醸していた話題だが、今、アクティブなロックキッズの若者にホットなバンドというのは、ほぼ00年代の(つまり彼らが中高生の時に流行った)ロキノンと呼ばれていたバンド「だけ」が直接のルーツになっているとされているが、その点も、年代や地域も雑食なACCの楽曲とは対称的である。

(失礼ながら、ACCは佇いも洗練されており、そこも「ロキノン系」とは大きな違いだろうか。)


このように見ていくと、彼らの戦略性というのは、音楽性の面にも密接に結びつき合いつつ、

「下北沢のバンドシーン」へのカウンターの姿勢として作用しているように思えてくる。


戦略的に活動すること、ドライで冷めた感覚で自分たちを俯瞰すること、

その行為自体が、そうではない、今主流となっているバンドスタイルへのアンチテーゼとも取れそうだ。

 

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次回は今回洗い出したACCのカウンターカルチャー的側面を掘り下げつつ、

本題である昨今盛り上がりつつある新しいシティポップの動きを眺めていきます。

 

 

 

*1:シティポップの新星 Awesome City Club 「36.5℃」の情熱に迫るhttp://ro69.jp/feat/awesomecityclub_201504/page:1

*2:大注目株Awesome City Clubが語る、新しい時代のバンド論
http://www.cinra.net/interview/201504-awesomecityclub

*3:Awesome City Club SPECIAL INTERVIEW http://accgov.net/talk/talk_1.html

*4:Awesome City Club「オシャレで何が悪い」、メンバーが語るバンド誕生から “シティポップ”論まで
http://top.tsite.jp/news/i/23094689/

*5:Awesome City Clubが明かす、バンドの成り立ちと活動ビジョン「ドカンと売れたら一番おもしろい」http://realsound.jp/2015/04/post-2940.html

*6:Awesome City Club「オシャレで何が悪い」、メンバーが語るバンド誕生から “シティポップ”論までhttp://top.tsite.jp/news/i/23094689/